午前二時

日々ぶつくさと・・・。

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映画ブログが…

6万ヒットオーバー。
始めて丸2年くらいか。
最近はTBも放置プレイな状態なので、
ヒット数はかなり減っている。

現在は427本のレビュー。
今年中に73本見られるか!?
目指せ500本!

http://syosei7602.exblog.jp/
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全然更新してないやん。

と、言われたので久々に書いてみました。

…ま、別に書くことないや。

久々によく働いたよ、この一週間の巻

タイトルに意味なんてねぇ。
と、眠さをブログにぶつけてみる。
寝ろって話だな。

木曜日、大トロを食いました。
うまいよ、しかも奢りだよ!
それだけで満足です。


○世の中の話
安倍さんより、麻生さんの方が総理大臣に向いていると思うんだけどね。
もうね、靖国なんてどうでもええやん。
その辺の神社行っておけばいいわけよ、神道である限りどこで祈ったって詣ったって一緒。
信仰の自由っていうのは、そういうもんじゃないっすか?
目立つ人があえて目立って叩かれる事をする意味がわからん。

●最近見つけたオモシロサイト
オリジナルのステッカーの版下があります。
ロフトとかで売ってそうなヤツね。
印刷したら使えるっていうのがいいなぁ。
http://www.trojanbear.net/

○個人的な話
通勤途中、向かいからやってきたオッサンにえらく睨まれました。
普通のオッサンだったんだけど、睨んでいたのか俺の後ろに何かいたのかは定かじゃありません。
とりあえず、睨みながらすれ違っていくのは不気味ですよ。

○個人的な話その2
カレー屋で前に並んでいた結構綺麗な女性に見つめられました。
どこかで会いましたっけ?って思ったけど、なんでわざわざ振り向いて見つめるのだろうか?

○個人的な話まとめ
オッサンに見られたら「睨まれた」と思い、美人に見られたら「見つめられた」という認識をするのは何を表わしているのか?

オッサン=意味はない。
美人=スケベ心。

世の中、意外とこんなもんだな。
ちなみに下に貼ってある本は読んだこともない。
誰か読んで下さい。
もてて下さい。
伝授して下さい。

テーマ:日記 - ジャンル:日記

告白した直木賞作家

新聞、ネットで話題騒然の記事。
直木賞作家・坂東眞砂子さんが自分の飼い猫が生んだ子猫を崖下に投げ捨てて殺しているというエッセイを日経新聞の載せた。

http://www.j-cast.com/2006/08/21002622.html

以下がその文章。
ネットにあったものをコピペしているので、原文そのままかは不明である。

***

「子猫殺し」
こんなことを書いたら、どんなに糾弾されるかわかっている。

猫に言葉が話せるなら、避妊手術など望むはずがないし、避妊手術を施すのが飼い主の責任だといっても、それも飼い主の都合。
子種を殺すか、できた子を殺すかの差だ。避妊手術のほうが、殺しという厭なことに手を染めずに済む。そもそも、愛玩動物として獣を飼うこと自体が、人のわがままに根ざした行為なのだ。獣にとっての『生』とは、人間の干渉なく、自然のなかで生きることだ。
人間は、避妊手術をする権利もないし、子猫を殺す権利もないが、飼い主としては、自分のより納得できる道を選択するしかない。
自分の育ててきた猫の『生』の充実を選び、社会に対する責任として子殺しを選択した。もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。

***

要約するとこうなる。

猫は飼いたい→でも子猫はいらない→避妊は人間の身勝手→でもやっぱり子猫はいらない→じゃあ、生まれたら私が殺す→それは社会に対する責任

当然の事ながら、このエッセイについては糾弾の嵐である。
これについて批判している人は、板東氏の矛盾についてだ。
ペットを飼う行為が人間のわがままだとしながらも、板東氏は「社会に対する責任」という正当性を主張して子猫を殺してしまう。

そりゃあ勿論、猫だって避妊手術なんてされたくないだろう。
猫は本来気ままに生きる動物だし、それは犬や馬やあらゆる動物にそれにあてはまる。
人間だけが明確なコミュニケーション手段を持ってしまった為に、高度な社会を作って、ルールを作った。
しかし、人間も自由でいたいと考える。
それはいわゆる動物と何ら変わりがない。

仮定の話をしよう。
ある女性が避妊手術をしたとする。
育てる力が無いから、子供を生むことが出来ない道を選んだとする。
当然子供は出来ない。
出来ないとわかっているなら、子供が産めない辛さはあっても、子供を失う辛さは少なくともありえない筈だ。

では生まれた子供を、うまく育てられないと身勝手な未来を予測し、例えば旦那が勝手に殺してしまったら?

人間の社会と猫の社会を比べること自体がありえないと思うかも知れない。
でも、猫や犬も当然、自分の子供がいなくなれば探し回る。
それを飼い主が殺しているなどと思いもせずに。

結局、板東氏は獣を飼うという人間のわがままを己に内包しながら、確信犯的に猫を殺しているに過ぎない。
そんなものを「社会に対する責任」などと語る資格があるだろうか?
はっきり言って迷惑である。

『獣にとっての『生』とは、人間の干渉なく、自然のなかで生きることだ』

そう思うなら、猫を飼わなければいい。
避妊云々の前に、飼わなければ子猫を殺す必然性も無いし、この人が語る「社会に対する責任」なんてものは負わなくて済むはずだ。
自らが語る理論の矛盾に気が付かず、あまつさえ避妊を否定し、生まれてきた子猫までを否定するなんて、常軌を逸した行為以外の何物でもない。

僕は男だから、生みの苦しみは一生わからない。
だけど、猫だって子供を産むときは苦しいだろう。
性差別の話をするわけではないけれど、板東氏は女性だからそれくらいわかっても良さそうな話だ。

僕がこのどうしようもなく、不愉快な話をここに書いたのは「子猫殺し」に重点を置いたからではない。
この板東氏が、己の正当性を新聞という大衆紙に、非難を承知の上で開き直った文章を書いたからだ。
行為が許せないばかりか、あえてカミングアウトし、自らが社会に対して責任を果たしているなどと言うこと自体が許せないのだ。

板東氏のいう「社会」は非常に狭いものにしか思えない。
責任を果たしたいのなら、猫をはじめから飼わないで欲しい。

『もちろん、それに伴う殺しの痛み、悲しみも引き受けてのことである。』

痛みと悲しみは母猫のもので、それ以外誰のものでもない。
猫にだって感情はあるのだ。
それを理解して欲しいと思う。

いきなりかよ!

大阪~福井間を友人おでん氏と共にロングツーリング。
バイクを買って初めての遠出である。

で、帰りに事故りました。
渋滞中をすり抜けて左側を走行中、渋滞の隙間から突如対向車線から車が飛び込んでくる。
バイクと車との距離はわずか5m程。
ブレーキをかけたものの、リアタイヤが滑ってそのままスライディング、前輪から横滑りに車の左側面に激突。
滑った瞬間に手を離したお陰で、体は車の後方に投げ出され、体の痛みを気にするよりも早く立ち上がるとあちこちに破片だらけ。
ドライバーの女性が、慌てて駆け寄ってきたのだけど、こちらは動揺が止らず茫然自失。

怪我は左手首の捻挫、右足の擦り傷。
これだけで済んだのはまさしく僥倖というほかにない。
渋滞中ということもあり、40キロも出ていなかったのが幸いしたのだろう。
バイクはメーターが完全に外れ、右ハンドルが曲がり、フロントフォークがボディ側に曲がっていた。
おまけにリアブレーキのフットレバーも派手に曲がる。
タンクもへこみ、マフラーはガリガリ。
フロント全損で自走不可能、レッカー。

納車は先月末。
事故は一瞬である。
夢の中でリプレイ…。

こんな状態、すぐに迎えに来てくれたおでん、ありがとう。
本当に助かりました。
とりあえず、怪我を治さねば…。
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